第四十八代横綱 大鵬 本名:納谷 幸喜(なや こうき)
1940年(昭和15年)5月29日生 身長187cm。血液型はB型。
樺太敷香郡敷香町出身で、北海道川上郡弟子屈町で育った。
父親はウクライナ人のマルキャン・ボリシコ、母親は日本人の納谷キヨで
ハーフである。納谷は母の姓である。 |

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1960年代に活躍し、ライバルといわれた柏戸とともに 「柏鵬 (はくほう) 時代」と呼ばれる大相撲の黄金期を築いた。優勝32回、6連覇2回、45連勝などを記録し、昭和の大横綱と称され、戦後最強の横綱と呼ばれる事もある。
幕内最高優勝32回は2009年(平成21年) 現在、最多優勝記録である。様々な金字塔を打ち立てたが、特に入幕(1960年)から引退 (1971年) までの12年間、毎年必ず最低1回は優勝した記録は 「一番破られにくい記録」 と言われる。
当時の子供の好きなものを並べた「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉からも、当時の大鵬の人気と知名度がわかる。
また、 酒豪としても有名でかつての酒量は4時間程で5升を空け、 翌日の朝稽古に出たというエピソードもあるほど。
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引退後は大鵬部屋を興し、関脇巨砲、前頭嗣子鵬らを育てた。現在は部屋を娘婿の大嶽親方 (貴闘力) に譲っている。2000年 (平成12年) に北の湖・千代の富士の一代年寄2横綱を率いて還暦土俵入りを披露した。
1977年(昭和52年)に脳梗塞で倒れたが、不屈の精神でリハビリを重ねかなり回復した。大相撲中継の解説者として、人気力士、看板力士であっても手厳しく切って捨てる姿勢は好角家の好評を得た。
2002年にはロシア連邦・北オセチア共和国出身のボラーゾフ兄弟を日本に招き、兄のソスランを露鵬幸生として自分の部屋に入門させた ( 弟のバトラズは白露山佑太として二十山部屋入り、後に北の湖部屋へ)。大鵬はソスランの四股名に自分の「鵬」、名前にも本名の「幸」の字を入れ、期待に応えた露鵬は大鵬の停年後の2006年3月場所で小結まで昇進して部屋頭となったが、2008年9月にドーピング検査で 大麻の陽性反応が出たことを理由として弟と共に日本相撲協会を解雇された。
2005年 (平成17年)に日本相撲協会を65歳の停年(定年) 退職し、9年近く空席だった相撲博物館館長に就任したが、先に停年退職していた理事長経験者の佐田の山と豊山が健在にも拘わらず館長職に就いたのは異例の抜擢と言われている。
角界で、OBとして発言力を持つ一人でもある。
両横綱である白鵬、朝青龍を含めて現役力士や親方衆からもよき相談相手として慕われている。
2008年12月26日、日本相撲協会の仕事納めの日に相撲博物館館長職を退いたが、日本の国技であり文化でもある相撲を 日本全国にそして、世界へ広めることにより角界への恩返しができればと今も精力的に飛び回っている。
2009年10月27日、文化功労賞受賞 |
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1940年 |
5月29日、旧樺太(現・サハリン)生まれ |
1947年 |
小学1年生 岩内町西小学校 |
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小学2年生 北見訓子布小学校 |
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小学3年生 知床岩尾別小学校 |
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小学4年生 夕張若菜小学校 |
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小学5・6年生 弟子屈町川湯小学校(現在実家あり) |
1956年 |
弟子屈高校( 夜学 )を中退し、二所ノ関部屋に入門 ( 師匠:大関 佐賀ノ花 ) |
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9月場所 16歳で初土俵 |
1959年 |
5月場所にて十両入り、「大鵬」と改名 |
1960年 |
1月場所にて新入幕。11月九州場所にて初優勝。場所後、大関に昇進。(20歳) |
1961年 |
7月場所、9月場所と2場所連続優勝して(柏戸と共に21歳3ヶ月、当時史上最年少)
で第48代横綱になる。(入幕から1年10ヶ月)
この間、三賞:敢闘賞2回、技能賞1回、金星1個 |
1971年 |
現役引退 |
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優勝32回(史上最多) 2度の6連覇
通算成績:872勝 182敗 136休
幕内通算:746勝 144敗 136休 (幕内勝率83,8%) |
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・ 30回優勝を記念して相撲協会より一代年寄り“大鵬”を贈られる。 |
1972年 |
12月独立して「大鵬部屋」を設立し、後進の指導にあたる。 |
1976年 |
日本相撲協会 役員待遇 審判副部長 |
1977年 |
脳梗塞で倒れたが、闘病の末に回復し現在に至る。 |
1978年 |
日本相撲協会 理事就任 地方場所部長 |
1994年 |
日本相撲協会 理事教習所長公傷認定委員 |
1996年 |
日本相撲協会 役員待遇指導普及部副部長 |
2004年 |
大鵬部屋を嫁婿の貴闘力忠茂に(大嶽部屋)継承した。 |
2005年 |
財団法人 日本相撲協会相撲博物館 館長就任 |
2008年 |
日本相撲協会 退職 |
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1969年 |
紺綬褒章受章(以後7回飾版を追受) |
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文化功労者(平成21年度) |
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1970年 |
日本プロスポーツ大賞 |
1982年 |
国際ライオンズクラブより、世界人道主義賞 |
1991年 |
弟子屈町名誉町民賞 |
1996年 |
スポーツ功労者賞 |
1997年 |
東京アメリカンクラブ プロスポーツ賞 |
2000年 |
北海道道民栄誉賞 |
2004年 |
紫綬褒章 |
2005年 |
スポーツ特別賞(北海道新聞社) |
2008年 |
江東区初名誉区民 |
2009年 |
文化功労者 |
2011年 |
友好勲章(ウクライナ) |
2013年 |
正四位叙位 |
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国民栄誉賞 |
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